人の死に関わるもの全般が怖い。

 

友達の家にあった仏壇の遺影が怖かった。じっと見つめていたら友達が、「あれは戦争で死んじゃった人なんだよ」と教えてくれた。もっと怖くなった。戦争で亡くなった人の話も、死者の人数も恐ろしかった。小学生のとき戦争について調べたとき、遺体が無造作に並べてある写真を見た。古い本でモザイクがかかっていなかった。幾つか足がなかったり手がない人もいた。しばらく具合が悪くなって、友達のそばを離れられなくなった。人の死に触れたときは死から遠い生きている人と触れ合うのがいちばんいい。

 

東日本大震災の日から数日経った夜、暗闇で寝ていたら「死亡」という文字が襲い掛かってきた。1度や2度ではない。暫く1人で寝ることが出来なくなった。1人の時は暗い階段を登るときも後ろにその2文字が迫っているような気がした。その言葉だけ他と違って不気味な空気を帯びているように思えるのだ。

 

大好きなアイドルが亡くなったり、先輩が亡くなったり、友達のお兄さんが亡くなったり、はたまた知らない誰かでも人身事故の話だったり、最近色々な場面で亡くなった人の話をきくようになった。自分が生前からよく知っていた人ほど亡くなると怖いと感じられる。怖いと感じる度に、亡くなった方に申し訳なく思う。この恐ろしさはどこから来るんだろう。現実と死とのギャップが激しいほど、私は受け入れられないのだろうか。

 

私はよく、「死にたい」と軽々しく口にする。

本当は良くないことかもしれない。良くないことだと分かっている。だけど、その言葉は死がこの上なく恐ろしいものだと思う気持ちを少し和らげてくれる。死ぬことなんて実は大したことない。残念ではあったけど、ちゃんと弔うならなんてことはない。私の知っている人たちは死んだぐらいではずっと変わらないんだと。死んだからって急に私を殺しに来たりなんかはしないのだと。

あくまでも、人の死を軽視しているという話ではない。自分が平静に生きていくために、私は「死にたい」と呟く。

生きるために、「死にたい」と言う。

おかしなことかもしれない。死について、もう少し柔らかく考えさせてほしい。余りにも厳格だと、誰かが死ぬ度にストレスになってしまう。

とにかく、死について怖がっていることは分かってほしい。そして、誰か1人くらいはこの気持ちに共感してくれると思う。

 

そして誰かそろそろ私を葬式ではなくて結婚式に呼んでほしい。花嫁としてでもいい。生きている間に楽しい事をしよう。難しいことはいいから、美味しいものを一緒に食べようよ。